2007年 10月 8日 今までも、これからも、「人生の途中」で。
久し振りに、管理人の部屋に書きます。
最後に書いた日が3年前ですから、ずいぶん時がたってしまいました。
その間、管理人にもいろいろなことがありましたが、赤い糸のサイトの運営は、微力ながら継続はしていました。
というのも、利用される方が、決して無くなることがなかったからです。
これは、考えてみるとすごいことだなぁ、と思っています。
ホームページも、手をいれていないので、全然見栄えのしない地味なサイトなのですから・・・。
世の中も、大きく変わってきており、失われた10年から、格差社会、とキーワードも変わり、いよいよ「団塊世代大量退職時代」に突入するにいたっております。
管理人の私生活にも変化が起きています。
まず早期定年退職を選択し、35年間のサラリーマン生活に別れを告げました。
放送大学で心理学を受講し始めました。
協会の養成講座を経て、産業カウンセラーの資格を取得しました。
長男をガンで亡くし、娘が結婚しました。
第二の人生といいますので、悠々自適の生活を、という考えもないではありません。
が、それで本当にいいのかなぁ、という気持ちが最近とても強くなっています。
未だ、人生の途中なのだ、という思い。
人生の午後、だからと言って、青年時代から登って、中年で頂きに達し、あとは下り坂、ということなのだろうか。
やはり、人生は、死を迎える、その時が頂きであって、そこまでは営々と登っていくのものなのではないだろうか。
成し遂げたいこと、自分自身になるということ、それは、まだまだ夢として追い求め続けるものなのではないだろうか。
先日、文芸春秋の著名人58人の「理想の死に方」という特集を読みました。
なかで、印象に残ったのは、多田富雄さんの、「歩キ続ケテ果テニ息(や)ム」という生き方・死に方。
2001年に脳梗塞に襲われ、死地をさまよった末に、重度の右半身麻痺と言語障害を抱えて生き延び、ご自身の言葉で言えば、シジフォスのように果てのないリハビリの訓練を毎日こなしながら、いまでも一日に5,6時間はキーボードに向かって学究生活を送られている、現代能の作家でもあり、世界的な免疫学者です。
「私は物理的には歩けないが、気持は歩き続けている。体は利かないがこれならできる、もう少しだ、と思って、私はリハビリの杖を握り、パソコンのキーボードに向かう。」
また、建築家の安藤忠雄さんも、「走り続ける」とタイトルで言う。
アメリカの現代美術作家ブルース・ナウマンの、「100 Live and Die(100生きて死ね)」という作品を前に、
「私は<生>ある間、全ての瞬間を等価に、全力で生き抜けというメッセージを思った」と言います。
「慌ただしい日々の中で<自分の死に様>を考える時間はない。現在抱えている仕事を完遂するのと。次の仕事を考えることで、常に頭が一杯なのだ。・・・敵わないまでもガウディやカーンがそうであったように、生をふりしぼって、走り続けたまま終わりたい。そのときまで、瞬間を精一杯に生き抜きたい。」
つまり、人生に、引退ということはないんだ、と。死のその瞬間まで。
第二の人生、なんて言葉から考えて、人生を引退した気持ちになるのは、いけないなぁ、という思いがします。
このサイトを訪れる人たちのことに思いを馳せます。
再婚希望者がほとんどの方々ですから、男女間の挫折の経験から、だからこそもう一度、という思いを秘めた方々でいっぱいだろうと思います。
また、これから団塊世代を始めとする元気な退職者が増えていきます。
サラリーマンであった人間にとって、退職は、社会上の死を意味するほどの大きな出来事で、いよいよ終わったなぁ、という気持ちになりがちなのではないでしょうか。
そういう虚無感に襲われているとき、熟年離婚や、よくて家庭内別居のような味気ない生活が待っているとしたら。
離婚の年金分割の申請もやはり増加しているそうです。
離婚するために必要な資金を援助する「離婚ローン」なるものも銀行にでてきたそうです。
人生の最後が、下り坂だったら、このような状況をどう生き抜いていけるのでしょう。
終わるにも、終えようがない。
だから、このサイトも、もうちょっと力を入れてやってみようかな、という気持ちになっています。
力強い、人生の継続に、お役にたてる場合もあることを念じて。
われら、今だ、人生の途中、前をみて、登り続けて、「歩キ続ケテ果テニ息(や)ム」まで。。。
2007年12月16日 加齢のメリット
加齢のメリット (日野原重明)
今年の10月に96歳になった日野原重明さんが、こんなことを書いていました。
「学生時代に9年間住んだ京都で、当時はコンサートや映画に心を奪われて
いてので、京都の四季の美しさを実感しなかった。ところが、今、京都を訪れると
四季を通して表情が変わる自然や寺院の美に強く心が揺さぶられるのです。
これが加齢のメリットかと、感じます・・・。」
75歳で腹筋500回 (宇津井健)
今、75歳。体力的負担の大きいといわれる連続ドラマに、ほぼ途切れることなく
出演している。今は、TBS「山田太郎ものがたり」で、高校の校長役だ。
「まわりは若い人ばかり。滝つぼの水しぶきを浴びるように、息吹をもらっています。
自分の年をわすれそうですよ」
「年を取ると、体力など失うものも多い。でも年を重ねたからこそ得たものも、実は
それ以上に大きい。役者というのは、その蓄積を発揮できる仕事。75歳だからこそ、
できる演技があることを日々感じています」
宇津井健さんは、1年前、奥さんを亡くしています。。。
沈む気持ちを支えてくれたのが仕事であり、よりいっそうの健康に気をつかっている。
基本は腹筋、スクワット、そしてマシントレーニング。テレビを見ながら、時にはミルク
を沸かす数分も惜しんで体を動かしている。
1日50分を日課に30年 (安藤忠雄)
スクワット100回、腕立て伏せ100回、腹筋100回と柔軟体操。朝25分、夜25分、
30歳ごろから毎日続けている安藤忠雄さん。
「建築は体力勝負。肉体的体力と知的体力の療法ないと戦えない。すべての仕事を
卒業設計のつもりでやっている」
10代のころプロボクサーだったこともあるのだそうだ。
「ずっと63.5Kg。少し超えたら3日ぐらい食べない。プロボクサーだったころは61Kgで、
フェザー級の試合に出るため、1か月で57.1Kgまでやせた。1週間ぐらい飯食わなくても
平気」
今やっている運動が続けられる限り、設計をする、という。
5ミリでもいいから登りながら・・・ (堀文子)
先週のETVで、「89歳いのちを描く日本画家」というタイトルで、画家の堀文子さんの
特集が放映されていた。
堀文子、89歳の鮮烈! 日々いのち新たに。
「5ミリでもいいから登りながら死にたい」
「生きているかぎり、驚きつづけたい」
前回も書いたのですが、年齢を重ねることが、停滞や後退を意味するものではない、という
ことを思い起こさせてくれるエピソードをひろってみました。
加齢のメリット、という言葉をよくよくかみしめたいものだ、と思います。
人生は短い、だから無駄に過ごすわけにはいかない、ですね。
40歳になろうが、50歳になろうが、60歳になろうが、70歳になろうが、そして・・・・。
目の前の幸せに、感謝しつつ、5ミリでも登り続ける覚悟で生き切ること。
そんな気持ちを、喚起させてくれるお話ばかりでした。
このところ、新会員の数や、申し込みの件数が急に多くなっているわけではないのですが、
お相手が見つかった、ということが多くなったような印象を受けています。
季節がら、年末近くにこういうことが多い、ということなのかも知りませんが、一方で、求め合う
気持ちを素直に、真剣に伝えあうことのできる成熟したおとなの交際ができている、ということの
反映ではないか、とも思って喜んでいます。